あたりまへな事だから
あたりまへな事をするのだ。
空を見るとせいせいするから
崖へ出て空を見るのだ。
太陽を見るとうれしくなるから山盥のやうなまつかな日輪を林中に見るのだ。
山へ行くと清潔になるから
山や谷の木魂(こだま)と口をきくのだ。
海へ出ると永遠をまのあたり見るから
船の上で巨大な星座に驚くのだ。
河のながれは悠悠としてゐるから
岸辺に立つていつまてども見てゐるのだ。
雷は途方もない脅迫だから
雷が鳴ると小さくなるのだ。
嵐がはれるといい匂だから
雫を浴びて青葉の下を逍遥するのだ。
鳥が鳴くのはおのれ以上のおのれの声のやうだから
桜の枝の頬白の高鳴きにきき惚れるのだ。
死んだ母が恋しいから
母のまぼろしを真昼の街にもよろこぶのだ。
女は花よりもうるはしく温暖だから
どんな女にも心を開いて傾倒するのだ。
人間のからだはさんぜんとして魂を奪ふから
裸といふ裸をむさぼつて惑溺するのだ。
人をあやめるのがいやだから
人殺しに手をかさないのだ。
わたくし事はけちくさいから
一生を棒にふつて道に向ふのだ。
みんなと合図をしたいから
手をあげるのだ。
五臓六腑のどさくさとあこがれとが訴へたいから
中身だけつまんで出せる詩を書くのだ。
詩が生きた言葉を求めるから
文(あや)ある借衣(かりぎ)を敬遠するのだ。
愛はぢみな熱情だから
ただ空気のやうに身に満てよと思ふのだ。
正しさ、美しさに引かれるから
磁石の針にも化身するのだ。
あたりまへな事だから
平気でやる事をやらうとするのだ。
「一生を棒に振って道にむかふ」…人生と関与する。「或る墓碑銘」にも述べられている考えがここにも出ています。
各連、「のだ」で終わってます。この「のだ」がとても発音しずらくて困りました。ナ行とダ行のコンビネーションが、しかも文末に来ると自分は弱いようです。あと実生活であまり「のだ」と言うことないし。「んだ」だし。
あと、もっと楽しげに朗読すべき詩でありました。