高村光太郎『独居自炊』朗読mp3
ほめられるやうなことはまだ為ない。
そんなおぼえは毛頭ない。
父なく母なく妻なく子なく、
木端と粘土と紙屑とほこりとがある。
草の葉をむしつて鍋に入れ、
配給の米を余してくふ。
私の台所で利久は火を焚き、
私の書斎で臨済は打坐し、
私の仕事場で造化の営みは遅々漫々。
六十年は夢にあらず事象にあらず、
手に触るるに随つて歳月は離れ、
あたりまへ過ぎる朝と晩とが来る。
一二三四五六と或る僧はいふ。
高村光太郎は太平洋戦争末期の昭和20年、奥州の花巻に疎開し、その地に山小屋を建てて7年間を過ごします。
その、山小屋での独居自炊生活を歌った詩です。
すでに智恵子夫人は亡くなっています。
最後の「一二三四五六」は禅に関係したことなんでしょうか。
「朝が来て晩が来るというような当たり前のこと」をさしていると文脈から
読み取れるのですが、元ネタとなる仏教の命題があるのか、わかりませんでした。