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人つ子ひとり居ない九十九里の砂浜の
砂にすわつて智恵子は遊ぶ。
無数の友だちが智恵子の名をよぶ。
ちい、ちい、ちい、ちい、ちい――
砂に小さな趾(あし)あとをつけて
千鳥が智恵子に寄つて来る。
口の中でいつでも何か言つてる智恵子が
両手をあげてよびかへす。
ちい、ちい、ちい――
両手の貝を千鳥がねだる。
智恵子はそれをぱらぱら投げる。
群れ立つ千鳥が智恵子をよぶ。
ちい、ちい、ちい、ちい、ちい――
人間商売さらりとやめて、
もう天然の向うへ行つてしまつた智恵子の
うしろ姿がぽつんと見える。
二丁も離れた防風林の夕日の中で
松の花粉をあびながら私はいつまでも立ち尽す。
昭和9年5月、高村光太郎は精神を病んだ智恵子夫人を九十九里町真亀納屋の「田村別荘」に転地療養させました。
「田村別荘」には智恵子の実妹斎藤セツ一家(夫新吉・子俊太郎)と母センが住んでおり、智恵子の介護にあたりました。智恵子は
九十九里町でその年の12月まで8ヶ月間の療養生活を送ります。
光太郎は毎週一度ずつ智恵子を訪ね、九十九里の防風林の中を散歩したといいます。その様子は散文「智恵子の半生」「九十九里浜の初夏」に詳しいです。
「私も医者もこれを更年期の一時的現象と思つて、母や妹の居る九十九里の家に転地させ、オバホルモンなどを服用させてゐた。私は一週一回汽車で訪ねた(中略)彼女は海岸で身体は丈夫になり朦朧状態は脱したが、脳の変調はむしろ進んだ。鳥と遊んだり、自身が鳥になつたり、松林の一角に立つて、光太郎智恵子光太郎智恵子と一時間も連呼したりするやうになつた。」(「智恵子の半生」)
「節子さんによんでもらって下さい。
真亀といふところが大変
よいところなので安心しました。
何といふ美しい松林でせう。
あの松の間から来るきれいな
空気を吸ふと どんな病気
でもなおってしまひませう。
そしておいしい新しい食物。
よく食べてよく休んでください。
智恵さん 智恵さん」
(光太郎が智恵子にあてた手紙)
「ちい×5」が千鳥の声、「ちい×3」が智恵子の声なのがポイントです。
国民宿舎サンライズ九十九里の裏手の田村別荘跡に智恵子抄詩碑があります。