高村光太郎『車中のロダン』朗読mp3

まっくろな鉄板張りの三等車にも群集がゐた。
群集が何処にでもゐてロダンを苦しめた。
町をゆけばみんながふりかへった。
フォリイベルジェエルの「レギュ」では群集が寝衣を着たバルザックの軽口に腹をかかへた。
気違ひの、けだものの、利己主義の、独りよがりの、こけおどかしの、
それがみんなロダンの形容詞になった。
友達は一人づつ彼から離れた。
会へば体一裁のよい事を話してゐて、
離れれば皆ロダンを潤笑した。
弁護するやうな事を書く批評家でも
いつでも逃げられる余地を作って置いた。
たまに尊敬に似たものを捧げられれば、
それは尊敬の形をとった軽蔑であった。

だが装甲車のやうなまっくろな三等車の隅でいくら考へても、
ロダンは自分が間違ってゐると思へなかった。
どこが悪いかわからなかった。
あたりまへの事を為ただけ、
自己内天の規律に従ったまでの事。
万一自分の作ったバルザックがそんなに悪いとしたら、
その責任は神さまにあるのだ。
勝手にしろ、と思はず額に霰をよせて目の前の男をにらみつけた。
がやがやする群集の声がたちまちロダンを惰げさせた。
泥まみれな寂しさがつらかった。
三等車がいつものセエヴルを通り越しても
ロダンはじいっと窓の外を眺めてゐた。

いきなり肩をたたかれた。
カリエエルが微笑しながら手を出した。
「君は過去の美術家達をみんな君の中に生かして今の人にしてしまふね。」
さう言ってロダンをじっと見た。
「高い理想を持つ人間がどの位一般の為になるか世間は知らない、
美の英雄を知ると低劣ではあり.得ない。」
黙ってゐるロダンの眼に、真の信頼と光明との蘇りを彼は見た。
やがてロダンは静かに言った、
「カリエエルさん、あそこにゐる娘さんのうなじはまるでマリアのやうですね。」


(注)
ウジェーヌ・カリエールCARRIERE.Eugene(1849-1906)。
フランスの画家。 美術学校在学中に普仏戦争に志願兵として参加しプロシア軍の捕虜となったことがある。

高村光太郎はヨーロッパ留学以来、ロダンとその作品に深く心酔していました。 ロダンの登場する詩も多いのです。『ロダンの言葉』などを翻訳しています。


19世紀を代表するフランスの文豪バルザックの死後、フランス文芸家協会は その功績を称え、ロダンにバルザック像の制作を依頼しました。

ロダンはバルザックの著作を読みこみ、資料を調べ、彼に似た体系の人を デッサンし、7年の月日をかけてバルザック像を完成しました。

しかし出来上がったバルザック像はフランス国民が望んでいた優雅な 姿ではなく寝巻姿で小説のアイデアを練りながら書斎を歩きまわる、 大変人間的な姿でした。

世間からは「失敗作」と叩かれ、フランス文芸家協会もバルザックの名誉を汚すという ことで引き取りを拒否しました。

ロダンの死後このバルザック像は弟子や友人たちの働きで再評価され 1939年パリ市民の募金によりブロンズに鋳造されラスパイユ大通りに 立てられました。

この「車中のロダン」は世の中から 散々に叩かれたロダンがふてくされた所を友人の言葉に救われるという 話ですが、光太郎自身のことを重ねていると見るべきでしょう。

ヨーロッパ留学から帰国後の光太郎は旧態依然とした日本美術界に不満 を持ち、雑誌「スバル」などで批判的なことを書いたため美術界で居場所を失います。
その状況をロダンに託したのでしょう。

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