高村光太郎『デカダン』朗読mp3
ドコモ・Sバンク→123
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彫刻油絵詩歌文章、
やればやるほど臍をかじる。
銅像運動もおことわり。
学校教師もおことわり。
縁談見合もおことわり。
それぢゃどうすればいいのさ。
あの子にも困ったものだと、
親類中でさわいでゐますよ。
鎧橋の「鴻の巣」でリキユウルをなめながら
私はどこ吹く風かといふやうに酔つてゐる。
酔つてゐるやうにのんでゐる。
まつたく行くべきところが無い。
デカダンと人は言つて興がるが
こんな痛い良心の眼ざめを曾て知らない。
遅まきの青春がやつてきて
私はますます深みに落ちる。
意識しながらずり落ちる。
カトリツクに縁があつたら
きつとクルスにすがつてゐたろう。
クルスの代りにこのやくざ者の眼の前に
奇蹟のやうに現れたのが智恵子であつた。
高村光太郎はヨーロッパ留学から帰国後、彫刻制作会社を作ろうという
父の提案を断り、学校教師の口も断り、放埓な生活を送ったようです。
ただしそれは単なる自堕落ではなく、芸術に一途であろうという青年の
もがきだったかもしれません。
はたから見てるとダメな生活を送ってるんだが「いや、俺は今
頭の中でカオスを熟成してるんだ」とか「助走期間」言ってる脚本家志望の人と
似てるかもです。
しかし光太郎はそのカオスを結局形にした所がエライ。彫刻や詩という形に。そう思います。