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そんなにもあなたはレモンを待つてゐた
かなしく白いあかるい死の床で
私の手からとつた一つのレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
トパアズいろの香気が立つ
その数滴の天のものなるレモンの汁は
ぱつとあなたの意識を正常にした
あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
あなたの咽喉に嵐はあるが
かういふ命の瀬戸ぎはに
智恵子はもとの智恵子となり
生涯の愛を一瞬にかたむけた
それからひと時
昔山巓でしたやうな深呼吸を一つして
あなたの機関ははそれなり止まつた
写真の前に挿した桜の花かげに
すずしく光つレモンを今日も置かう
詩集『智恵子抄』の代表作といっていいでしょう。『智恵子抄』は高村光太郎の第二詩集。1941年(昭和16)8月、龍星閣刊。『人に』から『荒涼たる帰宅』までの詩29篇、短歌6首、『智恵子の半生』『九十九里浜の初夏』など散文3篇を含みます。
光太郎と智恵子の出会い、愛に溢れた生活、そして智恵子の死が描かれています。
『道程』と重複する詩もあります。『荒涼たる帰宅』を除き、作品は制作年代順に配列されています。
光太郎の妻智恵子は1929年実家の破産・一家離散など心労が重なり、精神を蝕まれていきます。
昭和10年2月、品川のゼームス坂病院入院、3年後の昭和13年10月5日智恵子は息を引き取ります。死因は【粟粒性肺結核】…。
『レモン哀歌』は
その智恵子の死の瞬間を描いた詩です。今日まで広く愛唱されています。
高村光太郎といえば『レモン哀歌』と連想されるほどの代表作です。
「その最後の日、死ぬ数時間前に私が持つて行つたサンキストのレモンの一顆(つぶ?)を手にした彼女の喜も亦この一筋につながるものであつたらう。彼女はそのレモンに歯を立てて、すがしい香りと汁液とに身も心も洗はれてゐるやうに見えた。」
「私の持参したレモンの香りで洗はれた彼女はそれから数時間のうちに極めて静かに此の世を去つた。昭和十三年十月五日の夜であつた。」(以上「智恵子の半生」より)
「トパアズいろの香気」「青く澄んだ眼」など、あまりに美化されていて悲痛さはむしろ抑えられています。少なくとも「梅酒」や「千鳥と遊ぶ智恵子」に見られる、むき出しの悲しみはありません。そこが賛否両論分かれるようです。
光太郎としてはこれくらいオブラートに包まなければ智恵子の死(しかもその瞬間)という場面を
描けなかったのではないでしょうか。
光太郎の内面を語る心理描写が一切無いにも関わらず、刻々と移り変わる気持ちの変化が伝わってくるのがスゴイと思います。
光太郎の死後、草野心平が編集した『智恵子抄』が新潮文庫に
納められます。初版とは構成が異なります。
朗読は、智恵子の生前の姿を高村光太郎が回想しながらシミジミ歌ってる感じを意識しました。何度めかの再録です。