高村光太郎『晴天に酔ふ』朗読mp3

四方八方こんなによく晴れ渡つてしまつては
あんまりまぶしいやうで気まりが悪いやうだ。
十石峠の頂上にいま裸で立たされてゐるやうだ。
頭のまうへにのしかかる巨大な富士は
まるで呼吸をしてゐるやうに岩肌がひかるし、
右と左に二つの海が金銀の切箔をまきちらしてゐるし、
天城の向こうに眼さへきいたら唐人お吉(きち)(注)の町も見えさうだ。
どこからどこまで秋晴の午前八時だ。
天地一刻の防音装置に
展望はしんとして遠近無視の極彩色。
枯芝の匂の中に身を倒すと
ゆらゆらとあたり一面の空気がゆらめき、
白ペンキ鮮やかな航空燈台も四十五度にかたむき、
青ダイヤの竜胆が(りんどう)がぱつちりと四五輪
富士の五合目あたりに咲いてゐる。
あんまり明るいので太陽の居るのさへ忘れてしまひ
何もかも忘れて此の存在が妙に仮象じみても来るし、
永遠の胎内のやうに温かでもあるし、
たうとうお天気に酔つぱらって欠伸をすると、
急に耳の孔があいて森羅万象
一度に透明無比な音楽をはじめた。


(注)唐人お吉…
本名、斉藤きち。 初代アメリカ総領事タウンゼント・ハリスの侍妾。
当時は外国人に身を寄せることは恥という風潮だったので、 侮蔑の意味を込めて「唐人」と呼ばれた。
「唐人お吉の町」は、きちが芸者として成功した、下田の町のこと。

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