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高村光太郎『雨にうたるるカテドラル』朗読mp3
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おう又吹きつのるあめかぜ。
外套の襟を立てて横しぶきのこの雨にぬれながら、
あなたを見上げてゐるのはわたくしです。
毎日一度はきつとここへ来るわたくしです。
あの日本人です。
けさ、
夜明方から急にあれ出した恐ろしい嵐が、
今巴里の果から果を吹きまくつてゐます。
わたくしにはまだこの土地の方角がわかりません。
イイル ド フランスに荒れ狂つてゐるこの嵐の顔がどちらを
 向いてゐるかさへ知りません。
ただわたくしは今日も此処に立つて、
ノオトルダム ド パリのカテドラル、
あなたを見上げたいばかりにぬれて来ました、
あなたにさはりたいばかりに、
あなたの石のはだに人しれず接吻したいばかりに。

おう又吹きつのるあめかぜ。
もう朝のカフエの時間だのに
さつきポン ヌウフから見れば、
セエヌ河の船は皆小狗のやうに河べり繋がれたままです、
秋の色にかがやく河岸の並木のやさしいプラタンの葉は、
鷹に追はれた頬白の群のやう、
きらきらぱらぱら飛びまよつてゐます。
あなたのうしろのマロニエは、
ひろげた枝のあたまをもまれるたびに
むく鳥いろの葉を空に舞ひ上げます。
逆に吹きおろす雨のしぶきでそれがまた
矢のやうに広場の敷石につきあたつて砕けます。
広場はいちめん、模様のやうに
流れる銀の水と金焦茶の木の葉の小島とで一ぱいです。
そして毛あなにひびく土砂降の音です。
何かの吼える音きしむ音です。
人間が声をひそめると
巴里中の人間以外のものが一斉に声を合せて叫び出しました。
外套に金いろのプラタンの葉を浴びながら
わたくしはその中に立つてゐます。
嵐はわたくしの国日本でもこのやうです。
ただ聳え立つあなたの姿を見ないだけです。

おうノオトルダム、ノオトルダム、
岩のやうな山のやうな鷲のやうなうづくまる獅子のやうなカテドラル、
カウ気の中の暗礁、
巴里の角柱、
目つぶしの雨のつぶてに密封され、
平手打の雨の息吹をまともにうけて、
おう眼の前に聳え立つノオトルダム ド パリ、
あなたを見上げてゐるのはわたくしです。
あの日本人です。

わたくしの心は今あなたを見て身ぶるひします。
あなたのこの悲壮劇に似た姿を目にして、
はるか遠くの国から来たわかものの胸はいつぱいです。
何の故かまるで知らず心の高鳴りは
空中の叫喚にただをののくばかりに響きます。

おう又吹きつのるあめかぜ。
出来ることならあなたの存在を吹き消して
もとの虚空に返さうとするかのやうなこの天然四元のたけりやう。
けぶつて燐光を発する乱立。
あなたのいただきを斑らにかすめて飛ぶ雲の鱗。
鐘楼の柱一本でもへし折らうと執念(しゆうね)くからみつく旋風のあふり。
薔薇窓のダンテルにぶつけ、はじけ、ながれ、羽ばたく無数の小さな光つたエルフ。
しぶきの間に見えかくれるあの高い建築べりのガルグイユのばけものだけが、
飛びかはすエルフの群を引きうけて、
前足を上げ首をのばし、
歯をむき出して燃える噴水の息をふきかけてゐます。
不思議な石の聖徒の幾列は異様な手つきをして互いにうなづき、
横手の巨大な支壁(アルプウタン)はいつもながらの二の腕を見せてゐます。
その斜めに弧線をゑがく幾本かの腕に
おう何といふあめかぜの集中。
ミサの日のオルグのとどろきを其処に聞きます。
あのほそく高い尖塔のさきの鶏はどうしてゐるでせう。
はためく水の幔まくが今は四方を張りつめました。
その中にあなたは立つ。

おう又吹きつのるあめかぜ。
その中で
八世紀間の重みにがつしりと立つカテドラル、
昔の信ある人人の手で一つづつ積まれ刻まれた幾億の石のかたまり。
真理と誠実との永遠への大足場。
あなたはただ黙つて立つ、
吹きあてる嵐の力をぢつと受けて立つ。
あなたは天然の力の強さを知つてゐる、
しかも大地のゆるがぬ限りあめかぜの跳梁に身をまかせる心の落着を持つてゐる。
おう錆びた、雨にかがやく灰いろと鉄いろの石のはだ、
それにさはるわたくしの手は
まるでエスメラルダの白い手の甲にふれたかのやう。
そのエスメラルダにつながる怪物
嵐をよろこぶせむしのクワジモトがそこらのくりかたの蔭に潜んでゐます。
あの醜いむくろに盛られた正義の魂、
堅靭な力、
傷くる者、打つ者、非を行はうとする者、蔑視する者
ましてけちな人の口の端を黙つて背にうけ
おのれを微塵にして神につかへる、
おうあの怪物をあなたこそ生んだのです。
せむしでない、奇怪でない、もつと明るいもつと日常のクワジモトが、
あなたの荘厳なしかも掩(おお)ひかばふ母の愛に満ちたやさしい胸に育まれて、
あれからどれくらゐ生まれた事でせう。

おう雨にうたるるカテドラル。
息をついて吹きつのるあめかぜの急調に
俄然とおろした一瞬の指揮棒、
天空のすべての楽器は混乱して
今そのまはりに旋回する乱舞曲。
おうかかる時黙り返つて聳え立つカテドラル、
嵐になやむ巴里の家家をぢつと見守るカテドラル、
今此処で、
あなたの角石に両手をあてて熱い頬を
あなたのはだにぴつたりと寄せかけてゐる者をぶしつけとお思ひ下さいますな、
酔へる者なるわたくしです。
あの日本人です。

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